もういちどアニメブログ

生まれ来る新しいアニメファンのために

おれ自身がおれのアニメライフを拒否している

さて どう考えても不健康なおれ どこから立て直すべきか

眼だ 眼 映像作品を観るのに眼の調子が悪くては大きな支障が出る

事実おれは乱視・斜視・ドライアイと診断されている ドライアイは目薬をもらえば少しはやわらぐだろうが 乱視と斜視の直し方は皆目見当がつかない

 

長時間本を読んだりアニメを観たりしていると 首の中心や背中が痛くなり 脳が疲労してなにもできなくなる

脳が疲労するのは 眼を酷使しなくとも 大勢のひとがいるところに長時間いると 自然とそうなる

 

もうひとつ気になることがある たとえばアニメの配信動画を観ようとするとき 再生しようとすると 意識が「待った」をかけるのだ なにか「アニメを観てはいけない」という暗示をかけられている 「アニメを23分も観続けていたら、からだがおかしくなる」 ならば アニメを23分観続けられる肉体と精神は どうやったら手に入るのだろう

 

スマホでアニメ本編を観ると息が詰まる

アニメは休みます

やはり 句読点付きの文体では 本領が出ないようだ

 

さて おれの実状をかえりみるならば 肉体的にも精神的にも とても文化的な生活を送るような状態ではない 不健康から健康になるべきなのだ 

アニメを観ることが文化的な生活ならば まず肉体的にも精神的にも健康を少しでも取り戻すことで アニメは休んでもいいのだと思う いやむしろアニメは休むべきだ ただ 100%健康なおれは どうやらもう戻ってこない気がする

 

アニメを休んでいるあいだに このブログでなにが書けるだろうか

土曜の夜ふかしにも限度ってものがあるだろ

海外競馬中継が終わり、さあ寝るだけ、という段になったのだが、なかなか寝つけない。テレビのチャンネルを変えると、ケーブルテレビでアニメシアターXが観られるようになっている。アニメ欲がぶり返してくる。なにかアニメを観たいと思う。凝ったつくりでなくていい、アニメに対する率直な気持ちを書く場として、ブログを新設したい。そう思ってこのブログを作った。こうして記事を書いている。

 

肝心のアニメ映像は、『アニマエール!』第2話の冒頭6分を観るだけに終わった。

いま、午前5時半を過ぎた。

日の出が近い。

 

こんなことでいいのか?

逐一あらすじを説明していってもつまんねえ

前回は、本編映像を観るのに困難を感じる云々よりも、まず書き始めるのが肝心である、ということを書いて記事をまとめた。

 

そうはいっても、本編映像は、そりゃあ観ないよりは、観たほうがいいよね? で、奇妙なやり方を思いついた。1話分を、何回かに区切るのだ。

対象となるアニメは、『アニマエール!』という作品の第2話である。

なお、本編映像のソースは、dアニメストアニコニコ支店。これによると本編の長さが23分40秒なので、約24分ということにする。3分割か4分割したい。約6分ずつに4分割しよう。

 

まずオープニング前のアバンと呼ばれるパートだ。主人公の「こはね」が見ている夢からアバンは開始される。こはねは、チアリーディング経験者の「ひづめ」や幼なじみの「宇希」たちとともに、チアの世界大会のようなステージに立っている。ちなみに、幼なじみの宇希は、第1話の時点では、こはねにチア活動に引き込まれることを極度に嫌がっていた。それでもこはねの意識(夢の世界)の中では、宇希はチア部の中核を担っているのだ。

 

さて、夢から覚めるとそこは授業中で、こはねは先生に立たされる。授業後こはねが宇希に説明するには、チアの大会のビデオを何回も観ていて、それが夢にまで出てきたという。こはねは夢の中で宇希がチアを一緒にやっていたことを強調し、宇希をチア活動になんとしても引き入れようとする。怒ってチア活動への参加を拒絶する宇希のセリフでアバンは終わる。

 

 

 

……さて、どうも面白くない。ここまで僕は、『アニマエール!』第2話冒頭のあらすじを説明してきたのである。これが面白くない。これ以上第2話のストーリーを追っていっても、なにかに結実するとは到底考えられない。そもそもストーリーを追うのにうんざりして、やめてしまうだろう。

 

また俺は投げ出すのか?

そんなのいやだ。

教訓。あらすじを説明するようなアニメの感想記事は、長続きしない。

アニメ云々よりも、書かなければ始まらない

ひさしぶりにこういった文体でブログを書く。感じたままに書けばいいのだと思う。

 

 

 

僕は2012年の夏まで、FC2ブログで、新作テレビアニメの各話感想ブログを運営していた。正しくは、運営「しようとしていた」。もっと踏み込んだ言い方をすると、運営「できなかった」。FC2のブログが立ち行かなくなったのは、

  1. アニメの各話感想を定期的に投稿すること
  2. しかもその各話感想の内容をちゃんとしたものに仕上げること

の両方ができなかったからだ。

 

奇跡的に各話感想記事を投稿することができたとしても、無理やり「考察」っぽい体裁に仕立て上げるか、書くことがないのに無理やりことばを継ぎ足して分量を水増しするということのオンパレードであった。(ちなみに、書くことがないのに分量を水増しした理由は投稿数を稼ぐためであり、決まって感想対象作品は「まんがタイムきらら系」に代表されるいわゆる「日常系」アニメだった。)

 

 

 

さあ、僕は7年ぶりに各話感想のリベンジを果たすべきなのだろうか? じつは、定期的に更新することを優先させるなら、各話感想にこだわる必要はないと思っている。アニメについて書くことは、いくらでもある気がする。

それに、30代になった手前、体力も若い頃から落ちているであろうし、各話感想というエネルギーのすり減る作業を定期的に行うことは、ますます難しくなっているだろうから。なにしろ、30分アニメを1回分視聴するだけでも、フルマラソンを走ったような疲労感を覚えるのだ。これが僕の実状である。

しかし、「本編映像を視聴するのが困難である」というのは、アニメブログとして大いに差し障りがあるのではないか、という意見が出てくるのは必然だろう。

ここでたとえば僕が、『僕は記憶の中でアニメを観ることができる!』とか言い出したら、「この人、あたまおかしい」と思われるのは当然の帰結かもしれない。

 

しかしながら、ブログというものは、キーボードをタイプしなければ始まらないのだ。書かなければ始まらないのだ。